喪女予備軍の戯言

適当なことを適当に言ってます。

感謝


物心ついた頃には、生活の中にSMAPがいた。


今の私はジャニオタだけど、ジャニオタになる前からSMAPをバラエティで見かけない日はなく、V6は学校に行って学生の主張を聞いていたし、亀と山Pはのぶたをプロデュースしてた。ヤンクミを慕うヤンキーたちを毎週見守り、百年先も愛を誓う恋に憧れた。昭和でSHOWは無理のフレーズは今でも強烈に覚えている。

書き連ねてびっくりしたけど、案外小学生の頃の記憶ってあるもんだね。これ、全部わたしが小学生のときにあったことです。あの頃のわたしはテレビっ子だったけど、アイドルに興味はなかった。興味のないわたしでも、生活の背景には常にアイドルが存在した。


例えば、ジャニーズに興味がないと思ってる人で、ジャニーさんが「タレントのことをユーと呼ぶ」エピソードを知っている人はどれくらいいるんだろう。家にテレビがあって、普通にテレビを見てる程度の人なら聞いたことはあるんじゃないかなあ。ジャニーさんが動いて喋ってる姿は一度として(映像としても)見たことはないけど、ジャニーさんのエピソードならなぜかいくつか浮かびます。すごいよね。目に見える形で姿を見せる機会はほとんどなかったのに、一視聴者がまるでジャニーさんの人となりを知っているかのような気持ちにさせるくらい、自社タレントが社長の話をするってなかなか無いと思います。


テレビに興味がなくても、芸能人に興味がなくても、SMAPや嵐を知っている人はたくさんいますよね。咲いては消えていく人が多い中で、長期間に渡って「テレビにいるのが当たり前」な人たちをたくさん排出するって、思っている以上にすごいことなんだと思う。


ジャニーさんは、よく知っているようで、全然知らない人です。「ジャニーズ」のファンにとってはそうです……というのは主語が大きすぎるので、少なくともわたしにとって、ジャニーさんは知らない人のまま。自担やバラエティで語られてきた「ジャニーさん像」しか知らないまま。伝聞でしか知らない人の死を悼むというのは、異常なことなのかもしれないけど、好きな人を見つけて輝かせてくれた人のことを好きになるのは当たり前なんです。


自担から語られるジャニーさんとのエピソードは、常に愛に溢れています。自担だけじゃないですね。ジャニタレがジャニーさんを語るとき、いつもそこには笑顔があります。世間では、なんかいろいろとジャニーズについて言われてるけど、ジャニーさんは利益もブランド価値も関係ない、愛とエンターテイメントに生きた人なんだろうな。商売だからね、いろいろとね、「会社規模」だとファンの考えが及ばないような動きがあるのかもしれないけど、ジャニーさんとジャニタレの間にある絆と愛だけは、どこまでも美しく綺麗に横たわっているのだと思います。


ジャニオタになるずーっと前、同級生に煙たがられ始めだんだんと存在を無視されるようになってきたわたしを、同級生たちと繋いでくれたのはジャニーズのタレントたちでした。

イケパラ、花男探偵学園Q……どうにか共通の話題を見つけることで居場所を作っていたあのころ。付き合うなら中津がいいと背伸びした会話、道明寺とつくしの恋模様をませた小学生なりに話した日、キュウ派かリュウ派かで語り合った昼休み。KAT-TUNは誰が好き? やっぱり亀? わたしは赤西がいいなあ。そんな会話をした放課後。月曜は少し夜更かしをして、スマスマをお母さんと見てたなあ。


母親の依存を断ち切ってくれたのもジャニーズだった。専業主婦だった母親は、娘を育てることだけに依存し、存在意義を見出していたせいで、わたしたちに過剰なまでの愛と執着と依存を傾けていました。万年反抗期だったわたしは歳を重ねるごとに母親と折り合いが悪くなり、家に寄り付かなくなって、思い悩んでいたころに母が嵐に出会いました。

嵐に出会った母は本当に幸せそうに暮らしています。毎日ニノちゃんが可愛いのと話し、ドラマやバラエティを見て、ラジオを聴き、ライブ映像を見ています。今のわたしが母親と良好な関係を築けているのは、嵐のおかげ。活動休止前最後のライブに当たった母は、まるで少女のように喜んでいました。8月のライブ、楽しんできてね。


決してライブに行ったり、ファンクラブに入ったりするような熱心な「ジャニーズのファン」じゃなくても、遠くからジャニーズというエンタメに支えられた人は沢山いるはずで、思い返せば昔のわたしもその一人でした。ジャニーズに関するエピソードをあげたらきりがない。

わたしみたいな人間はきっと日本にたくさん、いや、もしかしたら世界規模でたくさんいるかもしれない。


言葉にしなきゃ消化できないけど、ツイートだとすごく薄っぺらくて自分が気持ち悪くなる文章しか作れなかったから、ここで吐き出し。